僕は不満な環境で育つ説
そんなことを考えてるのはやりたいことが配属希望第三志望まで全部外れてから
「やるぞ!」と発起し挫折しそのうち自分のことを考えるようになったから
「おかしくね??え??」ってことを「そういうものなんだ、我慢我慢。」とせずに
「なに?え?なんで?ふざけるな!!」を繰り返し
そのうち「ふざけるな」することの生産性のなさに気づき、
なぜだろうを考えまくってたから
なぜだろうを考えなかったら自分がどんなことを本当に求めててどうしたいのか
それは今のままで目指せる確率が低いこととか
そういうのがわからず、ただ漠然と環境に不満抱くだけだったと思う。
怒られてもストレスをそもそも貯めない方法とか
自分がどうして生きていくかとかそこら辺がこの1ヶ月で一気に固まった感あるわ
それが変わることもあると思うけど。
ホント話飛ぶけど、そういうことを考えさせない小学校の教育とか
マジ一度爆発して欲しいしホント教育は大事だし
教育大事
教育パパになるわ。
違うことしてキャリアプランが形成できないなら意味は無い。
例えば僕が広告運用したいとしてこのまま制作をしてたら、制作の経験はつくけど
例えばやりたいことに転職するとして、彼らはあくまで経験・スキルを見るのだ。
スキルがない時点で書類選考で落ちる
市場価値ってそういうもの。新卒とは違う。
そこで制作ディレクションとなるとまず広告運用やれる確率は激低なのだ
行けないことはないかもしれないけど、行ける会社が限られる。
「やりたくないことでもやると未来が待ってる」とかいう人いるけど、こんな時責任取る?
取るわけないよね、そもそも取る必要が無い。
いうこときけばその職場の評価は上がるけど、後で体調崩しても何しても会社は責任取る必要が全く無い。だからとらなくてもなにも言えない。それがわかったあとでは遅い。
人の期待に応えるために生きる人生は、僕に全く合わない。幸せじゃないと感じる。
ぼくは自分のしたいことを実現するために努力する。
まぁそもそもそういう過程は楽しくて努力もクソもないけどね
本当の意味で没頭出来ることをする。自分はまだ会社員の意識だった。
2.本当の意味で没頭出来ることをする。自分はまだ会社員の意識だった。
没頭することを探すのは自分であって、言われたことをやって、それによって機会を「他人からもらう」というのでは、貰える機会を自分でコントロール出来ない。効率わりい。
コントロールする方法だってあるし、その方法とのメリデメもあるんだから
自分がしたいことをどうやってとりにいくかって発想に突然なった
それまでは僕もただの会社員だった。
ベンチャーにいようが「やりがい」だろうが、「仲間が大事」だろうが、僕は仕事を評価によって
「他人から」貰いに行くと考えてた時点で会社員。
期待に答えて次の機会。それもいいけどやりたい道に沿ってないなら直結はしてない。
やりたくないことは無駄にならない。でもやりたいことはもっと無駄にならない。
仕事、やりたくないことで成功してしまったら不幸。
僕みたいなキャラの母親がいます。僕みたいなテンションの高さ。
キムチのことをキムチングというし、ティッシュのことをティッシングという。
喧嘩しても、怒った口調で「キムチングとって!!!!!!」という母親。
喧嘩の20分後にはけろっとする母親。
そんな母がある日「あんたこれよみなさい。後悔するから、絶対読んだほうがいいから!」と
大学3年の時に買い与えてもらった本があります。昔読んだけど「へぇ」ッて感じだった。
https://www.amazon.co.jp/「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと-千田-琢哉/dp/4837924158
社会人になった今年。昨日帰宅した時にそんな本がふと本棚にあるの見つけて、
「旅行した方がいい」くらいしか書いてないんだろーナー。と思いツッコミ前提で読もうとした。
そしたらやばい。「???!?確かに!!!」となってビビった。
こういう本、あんま読まないんだけどな。
この1ヶ月で自分が考えたことや体験したことに対する意味が書いてあってまじうける。
今の自分にピンときたのが「やりたくないことで成功したらその人生は最悪だ。やりたくない仕事でうめつくされてしまう。なまじ器用で押しの弱い人にこのタイプが多い。」と書いてあったこと。
この人の言うことは、すごい共感できた。
「仲間と群れ過ぎても成長はない」とか「成長は自分が一人の時に行われる」とか書いてあった。
いろんな人にあうことはいいことだけど、自分の中で内省する時間を取らないと血肉にもならない
少なくとも最近ストレス減らす方法考えだしたのも一人で色々考えてた時だから
まさにそうだな!と思った
とりあえず今の自分の考えてることを結果的に後押ししてくれた本だった。
この著者調べると普通に有能みたいだしな。
他人にしたくないことを強要されても、従う必要はない
どっちがいいかは自分で時間かけて考えればいい
変えなくてもいいんじゃない?と思ったら変えなきゃいい
それが正解かどうかは未来、失敗や成功となりわかる
失敗ならまたどうするか考えればいい
でも、自分より先輩の考えはちゃんと背景まで聞いてもっておく。
無理に変えるとパンクする。そして、そういうのがストレス社会の一因だと思う。
「自分が嫌なことも社会に合わせるべきだ」と考える人が多いのでは?
僕は全然そうではないと思う。
目的は違っても、求められてる行動を取ることも。
町内の草むしりに参加呼びかけられるとする
こっそり植えようと画策していた。
そして閃いた。「草むしりなら土をほじくっても怪しまれないし
パクチー植えられる!!!」
結果僕は町のいやいや参加している人よりも圧倒的に一生懸命草むしりした。
パクチーがスクスクと育つように雑草をコレでもかと引っこ抜き土を整えた。
町内の「街に貢献」とかいう糞な考えはシカト。でも単純にパクチー植えたい時にこの機会をうまく利用できたし、町の人は「一生懸命だね」とほめてくれた。
やりたくないことを無理にやる理由はない
パクチーのための草むしりもそうだが、自分が変わらなくとも
相手の望む行動を取る場合はいくらでもある
とりあえず、選択肢に苦しい方があって、
「苦しいとやりがいありそうだから、そうしなきゃいけなそうだから」という理由で
それを選択することは僕はしない。
なぜなら自分の人生だから。
別にしなくてもミサイルも飛ばない。道中で刺されることもない。
他人に従属する人生なら、例えばAさんがその選択肢にしろといったらするでしょう。
しないと怒る。逆にすればほめてくれる。
そういったものが積み重なると、いつの間にか「他人がどう言うか」の範囲内で人生動くことになる!!
それに対して愚痴を言う人がホリエモンのいう「つまらないオヤジ」なんじゃないかな
愚痴を言わずに前向きに生きてる人も実はちょっとつらいみたいな人もいそうだなー。
心が強い人は、他人の期待に答えて、得られる何かがそのデメリットを上回り幸せになるし
そうじゃない人は病んで鬱になる。
ここは人間性が大きく関わる。
よく「にんげんかんけいが...」「仕事つらい」とかいう人いるけど
割りとそこで嫌なことをスパっと切っても何にもならない
ことIT業界なら特にそう思う。
少なくとも切らないことによる苦しみより切ることによる苦しみのが少ないと思う
まじ!
残業はやばいという風潮を作りたい
この文章を読んで結構思うことはあった。
http://geogeokun.hatenablog.com/entry/ベンチャーは気づいている?_「社畜」では会社は次
時間でしばるか成果で縛るか
思ったのは、時間でしばるか成果で縛るかって話
どっちも目的が異なると思う。
成果を求めるんなら究極時間はどうでもいいはず
厚切りジェイソンも言うけど「始業時間は厳しくて就業時間はルーズとかいみわからん」
これは批判というより、時間に厳しくするなら終業時間だってきっちり締めるんだけど
そうじゃないってことは時間を厳しくしようという意識はないということ。
ならば成果で判断とするべきだけど、そのくせ始業時間は厳格に守らせる。
時間にもこだわろうとするわけだ。
確かに全てをオールオーケーにすると秩序がなくなるかもしれない。
(やってみないとわからないけどね。PORT株式会社はエンジニアとか午後出勤の人もいるのにうちの会社より業績いいしね。)
でも、思うのは目的の違う成果軸、時間軸どっちも求めると結局
なにしたいかわかんなくなっちゃう。どっちかに絞ったほうがいいなと思う。
うちの会社、「アタリマエのことは当たり前に」みたいなアタリマエのことをわざわざ言語化したり色々学校みたいに縛ってると思うけど
二兎を追うと一兎も得ない
なんでも思い通りに行くとして、
本当は自由奔放に社員を働かせたいのか?
それとも計画に沿って確実に目標達成させるため一人ひとりを適切に管理したいのか?
ここが中途半端だと、どうなんだろうとおもうひともいると思う。
同時に、自分はどちらが心地良いのかも考える切っ掛けになるな。
どっちでも成功してる会社はいくらでもあるから、うちの会社はどっちがいいんだろう。
この文脈だと縛るのが良くないみたいに聞こえがちだけど、それで業績上げてて
そういうのが心地よい人が集まってれば全然ハッピーだと思う。
それともどっちでもないというグレーであることって大事なんだろうか。
僕はよく白黒つけるのでそこは知りたい。
人には得意不得意がある。短所を批判するのはコスパ悪い
短所指摘されると腹たたない?
僕にも短所はあるし、苦手なところばかり指摘されたら「全部求めるのは違うっしょ」と思う。
だって、皆得意不得意あるんだから。
不得意に目を向けるんじゃなくて得意なとこに目を向けたほうが楽しくない???
僕はその時に気づいたんだけど、他人にも同じことが言える。
僕は今まで他人の短所で納得行かないとこは激怒してたんだけど、
その人も僕と同じで、短所をもっているだけで長所もあるんだわ。
お互い様なんだよね。
よっぽど糞な人間じゃないかぎり(人を傷つけるのが楽しいとか、頑張る人を応援できないようなひん曲がった人ね。)そう考えると短所は気にならなくなる。
僕以外の人も完璧などではなくてできることできないこと
長所短所ある
短所を指摘したり不満に思うのではなく、そこはそこであるものだと思い
長所を吸収すればいいと思った
この人はそういう短所があるな。とみなすと心はなんか楽になる。
短所があることを当人に認めて貰う必要はない。それを見越してこっちが行動すれば大体のストレスは回避される。
今までは僕が相容れないような短所を持っている人は一括で「尊敬しない」部類に入れていたが
その人達からも吸収できることは結構ある
長所は長所として認めてその人のたどってきた道とかも含めて知ることで
自分の中で参考にしようと思う
先輩に似たことを言われたことがあるが、無理なくハラオチしてきた
そうするべきだからするのではなくそっちのが生きてて心地よいからそうするので
割といい感じ
そういう感じで生きてればナルトとサスケみたいな関係でいられる友人や仲間がいつか手に入ると思う