ピカチュウdays

名前とは全然イメージ違うこと書いてます。

他人にコントロールされてストレス抱えないのがオススメ

・他人にコントロールされてストレス抱えない

怒られて凹む

仕事を錬金される(いわゆる無駄な仕事)

同調圧力

 

端的に言ってこういうものを「自分が悪いんだ...」「この仕事は必要と言われたからやるんだ!」などと、他人のアクションに対して自分の意志ではなく他人の意志を優先すると

人はストレスが溜まるんだと思う。僕はすっごいたまる。

それは、自分でコントロールできてないものは先がわからず、流れをみてそれについていくという作業が必要な上、わくわくしないからだと思う。

 

例えば、全く興味のない買い物に付き合わされるとかもそうだと思う。

まず相手の歩調に合わせてついていく。どこに行くかは相手が決める

つまり他人の意志が優先。先もわからない。

仕事ではこういう「他人の買い物状態」のものに悩まされる人が多いと感じる

 

Twitterみてても人の話を聞いても大体のストレスはこっからきてるみたいだ。

私も割とそうだった

 

社会ではそういうストレスを受け入れなければいけないと思われがちだが

僕は絶対にそうではないと思う

他人の意志より自分の意志を優先しても思ったよりデメリットは少ない。

別にクビにもならないし、家にもミサイルが飛んでこないし、殴られることはない

ところで、北朝鮮のミサイル技術がすごい気がする。心配だ。

 

話を戻すと、小学校あたりは例えば、親に叩かれるとかあっただろうけど今はそんなことない。

多数の道を外れるのは一見怖いことだが、多分そうでもないと思う。

若いからやり直しはきくし、そしてそれを「楽してるからよくない」とするのも違うと思う

 

※もちろんそういう生き方のほうが心地良い人はいるはずで、それならそれが楽しいはず。

言い方を変えると目の前の課題を愚直にトライするのが楽しいと感じるということ。

僕はそうではないが、それが楽しいんなら最高だと思う。(人生は楽しきゃなんでもいい)

全員が全員そういう生き方をするべきではないというだけ

 

上司に怒られたり嫌味言われてもストレス感じない方法

凹まない

要約:凹む暇があったらその意識を改善に注ぐ。

怒られると凹む。その理由は何かというと意外に「凹んでるアピールをしなければいけない」と今までの人生で思い込んでたからだとふと気がついた。

→別に凹んでるアピールしなくても何もデメリットはないということに気がつけば結構ストレスフリーになる。

その人が怒ってようが何しようが、大事なのはその人の言っている内容で

自分のミスで相手がバリ怒ってる時は、その意識を改善に向けるほうがよい。

 

つまり「わ~なんか自分のミスでめっちゃ怒ってるわー」くらいに感情はとどめて

「なぜこれがおきた?私は何を考えてどういう判断してた?」というのを時系列たどり

冷静に分析することが大事だと思う

 

実際、落ち込んでるアピールしなくてもさしたるデメリットはない。

クビを締められるわけでもないしミサイルも飛んでこないし、集団ストーカーに襲われることもない。

全然怖くないのだ。

 

ミスを断つには、ミス自体よりも、過程を訂正するのが鬼大事と感じる

テンパッてたらその効率が下がる

負の感情はホント邪魔だから、無理なくカットできるとこはカットしてこ

 

※落ち込めば、そのことが深く刻まれるのでメリットあるという意見があると思います。

→多くの場合、凹んでQOL下がるデメリットがメリットを上回ると考えます。

トラウマレベルになると同じミスをする確率は激減するけど、変に萎縮する可能性も。

 

僕が仕事がワクワクするかしないかの違い

気がついたハラオチした

それは、ユーザー(サービスに関わる人。クライアントも一旦ユーザーと総称します)

をどうしたいかという思いで働いているかどうか。

綺麗事言うつもりないのでぶっちゃけると、どの会社だって、うちの会社だって、

規則や決まりに反していないかだけを大事にして

それらを守る目的としての、ユーザーへ価値を返す視点がない人なんていくらでもいる

 

それは、その人の言動をみてれば簡単にわかる。

「これは◯◯しなきゃいけないから、▲▲する」みたいな言い方が大半を占める人はその時点で

何をしたいかの思いはないと思う。

考えることにワクワクしないんだとおもう、その人の心のなかで。

 

それは批判するのではなく、そういう状況を認識すれば

自分はどうするかという行動の選択段階に移れる。

まず僕自身が考える(まぁそっちのが楽しい)

できたらその楽しさを広げる

 

これは批判で書いてるのではなく、発見をしたということ。

僕はそういうほうがワクワクするんだけど、如何に決まりを守るかにフォーカスしてしまってた時期があった。それはつまらなかった。

決まりは守らなきゃいけないから守るんじゃなくて、目的達成のために必要だから守るのであって

最優先でも何でもない。

だから、目的を本当に達成したいなら常に既存の決まりに疑問を投げかける必要がある

その疑問を呈さず、守ることを優先するのは違うと思う。

 

そこ気づけたのでヤッホイって感じ。

ユーザーに価値を提供いけないから提供すんじゃない、返して喜ばれると自分が嬉しいから返す。

 

その視点を持ってればサービス・仲間の違いはあれど

どの環境でもある程度楽しく働ける説ある。

まぁだからといってどの環境でもいいかというと、選べるならそこも選ぶべきだと思う

 

しかし、自分が抱えてる問題が環境を変えることによって解決するかというと

その触媒になる可能性はあれど自分がその問題を解決する重要性を認識し

取り組まなければちょっと難しいと思う。

 

仕事や人間関係でストレス抱えてる人にまず認識してほしいこと

他人のためではなく自分のための人生

まず、人生は誰か他人のものではありません。

自分がすべてを持つことはありませんし、財産だって自分の土地だって

自由だって取り上げられるかもしれない。

でも、自分の人生は紛れも無く自分のもの。

だから、絶対に絶対に自分のために生きるべき。

ここをまず認識してほしい。

 

つまらないのは、全て他人のせい

このタイトル、ちょっと人聞き悪いですよね。

「人のせいにするのはよくない」そんなことよく聞きませんか?

クソくらえです。ファック。

実際に何か嫌なことがあってそれが他人のせいなら、どんどん他人のせいにすればいい。

まず。

他人のせいにしようが、周りの人はさしたる危害をあなたに加えない。

「この人があんなことしなかったら...」とこぼした時に「ダメだよ人のせいにしちゃ」とかいう人いますよね。

「なぜだめなのか?」聞いてみてください。

「他人のせいにしてそこで終わったらなにも変わらないから」というような、あなたのことを考えた答えをくれる人のアドバイスは受け入れましょう。

それ以外の「よくないから」という答えをする人はただの思考停止peopleです。

このタイプの人が非常に多い。こういうタイプの人々は思考レス故、得られるものは0。そういう人種はグラシアスアミーゴッて感じで相手にするのはやめよう。
そんな人に従ってもメリットは明らかに0。逆らうことによるメリット・デメリット考えると明らかに逆らうほうがいいです。

他人のせいで損をした時はそれをいつもどおり発散してみてください。
その人がまたなんかいってくるけど、いってくるだけです。
毎回「すいません」とだけ言って続けてみてください。

そしてその人はそのうち何も言わなくなります。こういう人は大抵自分の中にさしたる判断基準もなく事なかれ主義なので取るに足りません。
すると?あなたは愚痴を吐けるようになる。

はい、これでまず他人の制限から開放。やったぜ。

・他人のせいにしてもいいから、自分がそこから行動を起こすことが大事

別に他人のせいにしてもいいんです。それが事実なら。
でも、言えるのは他人のせいにしてても変化はないということ。

 

例えば。無能な上司が、依頼した仕事を忘れたという事象が起きたとしよう。
もうそれは上司が無能なのが悪い。
でも「依頼した仕事をちゃんと最後までチェックするのも仕事のうちだ。」とかのたまうやつがいる。

そういう理論でむしろ無能な上司に謝らされる。
こういう奴はたいていイエスマンでさしたる学びも与えない。

非常にムカつくよね。
でも、「いやいや上司のせいだ。」と発散しても上司が無能なのは変わらない。

上司は無能なので別のミスを頻発する可能性が高い。もぐらたたきだ。

 

無能上司に言わせると、今回のミスは「自分が最後まで依頼した仕事を監督しなかったから」起きたことになる。

それは、ミスが起きないようにするための解決策であって、ミスが起きた原因とは全く違う。

原因は上司が無能でミスをする人だからだ。この原因から解決策を考えることが大事だ。

方法は色々ある

・別の人に依頼する

・他人に依頼をしなくてもいいような状態にする

・ミスする確率が低いフォーマットで依頼渡す

・上司のミスがそのまま上司への評価につながるような環境にする

 

仕事はケースバイケースだが、大切なのは事実をつかみそこからの改善策を考えること。

日本って、なんでも「自分のせい」にするのが美徳になってるけど

そうすると思いつく改善策が限られる。

自分に問題があるという考え前提なら「他人に依頼する」とか「他人に依頼しなくてもいいようにする」とかいう選択肢は絶対に浮かばない。

 

大事なのは自分が行動を起こすこと

楽な方法でいい。一番最短な方法でいい。

例えば、仕事が嫌だとしよう。

「つまらない環境を自ら変えろ」という人がいると思う。

でもそれに固執する必要はない

仕事がいやならそもそも転職する選択肢もある

 

環境を変えるというのは一つの選択肢であって絶対の解ではない。

転職するというのも一緒の選択肢で考えるべき。

 

「自責」「年功序列」謎の糞伝統が選択肢を狭める

仕事では、打ち手を考えるために「MECE」もれなくかぶりなく選択肢を検討することが求められる。

なのに、仕事のミスとかになるとなぜか「自責」前提で考えろという。

それは明らかに非効率。自責だけではなく他責も考えて選択肢を吟味したほうが最前回は見つかりやすい。

 

こういうクソみたいな前提は思考にブロックかけるので

ガン無視した方がいい。