他人にしたくないことを強要されても、従う必要はない
どっちがいいかは自分で時間かけて考えればいい
変えなくてもいいんじゃない?と思ったら変えなきゃいい
それが正解かどうかは未来、失敗や成功となりわかる
失敗ならまたどうするか考えればいい
でも、自分より先輩の考えはちゃんと背景まで聞いてもっておく。
無理に変えるとパンクする。そして、そういうのがストレス社会の一因だと思う。
「自分が嫌なことも社会に合わせるべきだ」と考える人が多いのでは?
僕は全然そうではないと思う。
目的は違っても、求められてる行動を取ることも。
町内の草むしりに参加呼びかけられるとする
こっそり植えようと画策していた。
そして閃いた。「草むしりなら土をほじくっても怪しまれないし
パクチー植えられる!!!」
結果僕は町のいやいや参加している人よりも圧倒的に一生懸命草むしりした。
パクチーがスクスクと育つように雑草をコレでもかと引っこ抜き土を整えた。
町内の「街に貢献」とかいう糞な考えはシカト。でも単純にパクチー植えたい時にこの機会をうまく利用できたし、町の人は「一生懸命だね」とほめてくれた。
やりたくないことを無理にやる理由はない
パクチーのための草むしりもそうだが、自分が変わらなくとも
相手の望む行動を取る場合はいくらでもある
とりあえず、選択肢に苦しい方があって、
「苦しいとやりがいありそうだから、そうしなきゃいけなそうだから」という理由で
それを選択することは僕はしない。
なぜなら自分の人生だから。
別にしなくてもミサイルも飛ばない。道中で刺されることもない。
他人に従属する人生なら、例えばAさんがその選択肢にしろといったらするでしょう。
しないと怒る。逆にすればほめてくれる。
そういったものが積み重なると、いつの間にか「他人がどう言うか」の範囲内で人生動くことになる!!
それに対して愚痴を言う人がホリエモンのいう「つまらないオヤジ」なんじゃないかな
愚痴を言わずに前向きに生きてる人も実はちょっとつらいみたいな人もいそうだなー。
心が強い人は、他人の期待に答えて、得られる何かがそのデメリットを上回り幸せになるし
そうじゃない人は病んで鬱になる。
ここは人間性が大きく関わる。
よく「にんげんかんけいが...」「仕事つらい」とかいう人いるけど
割りとそこで嫌なことをスパっと切っても何にもならない
ことIT業界なら特にそう思う。
少なくとも切らないことによる苦しみより切ることによる苦しみのが少ないと思う
まじ!